生きる事
しばらくブログを書かずにいた。
書き方もわからなくなってきて、
もう、止めようかなとも思っていた。
でも、
今、出産のために札幌へ来ていて、気が向いたというか、落ち着ける時間ができたからか、久しぶりに日記を書こうと思った。
臨月。
今度は、赤ちゃんのこと、ブログに書いて残せるかもしれない。
私の人生で、大きな出来事がひとつ。
今年、3月23日に、母が亡くなった。
でも、不思議だけど、母が残したのは喪失感とか、悲しみじゃなかった。
昨年の4月、母が病気になって、それからというもの、痛みや手術や、たくさんの乗り越えるべきことが母にあった。
私は、東京に住みながら、たまに帰って側で見守ることしかできず、気持ちも痛みもわかってあげられずにいた。
本当は、病気でも明るい元気な母のもう一つの一面「痛み」を知ってしまうと、自分もどうにかなってしまうような気がして、気持ちの同調から逃避しているところもあった。
側で、母の笑顔、涙を、抱きしめる事、受け止めることができた。
でも、本当の痛みを直視できない。
私ができることは、本当に些細なことでしかなかった。
最後は、母は眠りながら、亡くなっていった。
その時、家族揃って母の側にいることができた。
後悔のないお別れなんて、ないと思った。
でも、堅実的なお母さんの選んだ道は、最後までとてもお母さんらしかった。
母の死は、突然じゃなく、長い「生」の延長に、上手に繋がって存在していた。
なんか、最後まで、自分はお母さんに支えられていた。
また会いたい。また会おうね。
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今、札幌にいて、思うことがある。
東京に住み慣れて、東京が大好きだけど、
今は、札幌の良さを、とても実感している。
一人の時間。
瞑想できる場所って、広さが必用だと思った。
さこの言う瞑想の時間って、
自分を追い込むとか、自分と戦う時間じゃない。
自分の心がすっと澄んでいくような時間。
自然にする時間。
家じゃなくてもできる。
人気の少ないスーパーの二階のベンチとか。
雪道を歩いてる時、ふと目にとまった光景に見とれている時間とか。
お風呂の中とか。
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今、自分がどこにいるのかわからない。
カレンダーをみてみたり、自分の年齢を確認してみたりするけど、この先の予定が、白いのを実感する。
予定がないわけじゃないけれど、
予測がつかない。
今、生きてるという事実以外に実感できない。
なんか、変な感覚でいる。
流されるのかな。
それとも自然な自分の姿でいられるのかな。






